センチメンタル・シティ・ロマンス。今年で48年続いているシティロックバンド。その中心メンバーだった中野督夫さんが亡くなり、今日はバンドのメンバーと一緒に「お別れ会」に行ってきました。
僕がまだ高校3年生だった頃、レコード屋で見つけた「City Magic」のジャケットに心打たれ、ジャケ買いしたのが始まりでした。同じ名古屋ということでセンチの名前は聞いたことはあったのですが、当時ハードロックに少し疲れ気味だった僕の心に、爽やかなウエストコーストの風を感じさせてくれ、それ以後の僕の音楽の方向性を決めたアルバム。
大学生になってセンチをコピーしてました。東京に来ていたセンチのライブをこっそりラジカセを持ち込んで録音し、いち早くコピーしてたりもしていました。
学生を卒業するころには自分のいろんな意味での「音楽的才能」の欠如から「音楽で生きていきたい」という想いを捨て、普通のリーマンに。でもギターだけは捨てなかった。
それが約25年後に、仲間で「トクオさんがまだ元気にライブやっているみたいだよ、いってみないか」と三鷹の小さなライブハウスに行き、終了後に「お前ら、初めて見る顔だけどコーラスとっとってくれたなあ、なんなんだ?」
すべてはそこから始まった。「なんだ~、センチのコピーやっとったのか。なんで今はやっとらんのだ。まあ~1回やれよ。うまなったら俺がお前らをバックに歌を歌ったるで」
後から思えば、督夫さん流のその場での勢いで出た言葉だと思いますが、それを真に受けてしまった僕らはLETUSというバンドを結成し、それぞれが音楽リハビリしながら、ついに督夫さんと一緒にライブをやらせてもらえるまでになりました。
うちのバンドのメンバーがガン闘病中に、彼が書いた詞の曲を録音して彼を励まそうという時にも「俺も一緒にやったるわ」とスタジオにテレキャスターとストラト、それにお気に入りのアンプを持ち込んで録音に参加してくれました。
すごく繊細で、すごく大胆で、はちゃめちゃで、酒ばっかり飲んで、タバコもいっぱい吸って、女の子が大好きで、本当に昭和的なロッカーでした。
督夫さん、またいつかよろしくお願いします!
本当は督夫さんに飯能のスモークロッジに来てもらって、ミニライブをやってもらいたかったよ。督夫さんにベーコン食べてもらいたかったよ。絶対に喜んでくれたはずだよね。
これからも督夫さんの曲を聴くからね。ずっと聴いていたから。ムーンライトパスとか、12 yeas agoとか、高く高くとか、、、、、、、泣けてくる。
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